乙姫神社

みやびの日記&エッセイ。 2006.11.9~ Copyright(c) Miyabi All Rights Reserved.
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辻仁成 『海峡の光』

辻仁成氏による、第116回芥川賞受賞作品。悪と復讐の物語。




函館少年刑務所に務める刑務官・斎藤は、受刑者であるかつての同級生・花井と皮肉な再会を果たす。

斎藤には、花井から執拗ないじめを受けた過去があった。斎藤は自分だと悟られる事に怯えながらも花井をじっと観察し、模範的な態度から滲み出る悪意を見逃さないように目を光らせる。
花井は勤勉さを貫きながらも、受刑者の中からターゲットを見つけ出し、刑務官の目を盗んでいじめを行う。それも、自分を正当化させる狡猾かつ卑怯なやり方で。

一度は決まった花井の仮釈放だったが、なぜか花井は2日後に暴力事件を起こし、取り消しになる。その後、天皇陛下の即位に伴い、恩赦を受けて釈放という流れになるが、ビジネススーツを優雅に着こなし、悠々と出ていこうとする花井に、斎藤はかつて自分が花井から受けた嫌味で応酬。かっとなった花井が手をあげ、出所は取り消される。
再び花井が斎藤の手の中に戻るという、息をのむような展開だった。

本作を読んで、悪とは何か、復讐とは何か、と考えた。

花井は人に傷を負わせ、服役した。
だが、表面上は善意を振りまき、陰で弱者を追いつめ弄んだ罪は露呈せず、また彼自身償うつもりはない。
花井の心の中の闇は底知れず、どんな光も届かない。
刑務官となった斎藤は、今では花井をいかようにも扱える権力を得ているが、過去の古傷が蘇り、心のどこかで萎縮してしまう。偽善者である花井の仮面を剥がす事にとらわれてしまっている。
結局、過去という監獄にとらわれてしまっているのは、刑務官である斎藤の方なのだ。

いじめを受けたものができる最大の復讐は、過去から解き放たれる事なのかもしれないと感じた。
文章は美文でありながら骨があり、結末が二転三転する構成に思わず息をのんだ。

芥川賞受賞作の中でも、かなりの秀作だと思う。

素晴らしかった部分を以下に抜粋する。

花井は老婆を見捨てたが、洋館の塀に凭れていた私に気がつき、立ち止まると背後でうずくまる老女を意識しながら不覚に青ざめ、視線を私に凝固させた。鈍色の瞳はますます曇り、暗く頭骨の内側へどこまでも深く陥没した。私は、花井の張りぼての両目が溶け出し、奥に広がる暗澹たる内部が露出していくのを楽しん
だ。
内洋を抜け出る時に見る左舷前方に、照る日をあびて、凛として輝く函館山は風光絶佳この上なく、父親の魂が宿っていると信じるに相応しい貫禄であった。
片雲が山の稜線を掠める時、私には父が思い耽り太い眉根を顰めたように感じられ、旭光に赤く染まった父の面輪は漁に出るあの勇ましさに満ちた顔貌そのものだった。
塀が太陽との駆け引きで拵えた影によって、花井の頭部は二分された。耳だけが光に晒され、逆に表情は煉瓦塀の影の中へと没した。


監視される者たちにとって、看守は刑務所全体を認識する対象であり、同時に権威の壁の一つの煉瓦に過ぎない。受刑者たちは、看守という像を恐れるのであって、私という個人を恐れているのではない。私という個人は、常に彼らの意識の外側にある。
記憶にある海は凪で、見渡すかぎり金波である。父が漕ぐ磯舟の舳先から手を伸ばしては、海面のさらさらとした和やかな水の感触を楽しんでいた。まるで海は一つの生命体のように、光を食べて呼吸している愛しい動物のようだった。


夏の休日の日差しが舎房の突き当たりにある格子窓から斜めに差し込み、幾条もの光の柱を拵えた。……私は束の間放心状態となり、次第に死へと向かいつつある蝶の美しく危うげな瞬間の一つ一つを目で追いかけては、逆に自分の心が落ち着くのを覚えた。

構成だけでなく、文体の美しさも楽しめる作品だった。
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柳美里『家族シネマ』

柳美里氏による、第116回芥川賞受賞作品。




29歳の主人公、林素美が帰宅すると、家の中で映画の撮影が始まっていた。
父の暴力と母の性的なだらしなさで離婚、いったんは崩壊した林家だったが、
映画の中で「家族全員がもう一度一緒に暮らす話」が持ち上がる。

しかし、家族ひとりひとりの抱える内情はひどいものだった。
劇団に所属していた妹はアダルトビデオとCMのエキストラ以外に仕事はなく、この映画に再起を賭けている。28歳になる弟は人とのコミュニケーションがうまくとれず、未だに大学に籍を置いている。母はそんな弟を生涯養うため、父の家を売却して愛人と事業を立ち上げるつもりだ。しかし、その父もパチンコ屋のオーナーをクビになり、再び家族と一緒に暮らすことで老後の安心を得ようとしている。

一方で映画は誕生パーティー、キャンプとアットホームな雰囲気の中で進んでいく。
家族の会話はそらぞらしく噛み合わず、聞いていて薄ら寒い。
それぞれの計算に裏打ちされた同居話だったが、内情が分かった途端破談する。
林家は現実と映画の中で二度崩壊したわけだ。
ヒロインの素美は、「私は彼と折り合うことができるのだ。現実感のないひとにしか惹かれない」と家族の元を離れて彫刻家の老人の元に身を寄せようとするが、老人のアパートには既に若い女が来ている事を知り、ひとりで生きていく事を決意する。
どんな家族でも、ブラウン管の中の完璧な家族ではありえない。相性もあるし、お互いの我慢の上に生活が成り立っている。
いったんは壊れた家族が、継ぎ目を消すことのできない割れた皿のようなものならば、絵に描いたような家族の理想像に固執せず、ひとりで生きていく事の方がはるかに幸せなのだろうな、と感じた一作だった。

時々はっとさせられるような素晴らしい表現があったのでここに記す。

私たちの間に失われずに今でもしっかり残っているのは、意識が触れ合うたびにショートして憎悪と苛立ちを掻き立てることだ。子どものころは父と母の感情の被膜が破れていて、私たち兄弟に接触し感電するのだと思い込んでいたが、今こうして顔を合わせてみると五人が五人とも憎悪を抱き合っていたことが分かる。

右手には包丁の柄の感触と肉と骨の抵抗が、瞼の中には赤い色があふれている。
刺したのは男だった。

ひと筆で描かれたその絵は黒、紫、ピンク、黄緑色のグラデーションが美しくカラフルな海馬に見えなくもない。

後は、女性の尻を撮影する変態的な趣味を持つ老陶芸家の存在がアクセントとして効いていたように思う。
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笙野頼子『タイムスリップ・コンビナート』

笙野頼子氏による、第111回芥川賞受賞作品。




夢の中でマグロと恋愛していたヒロインの沢野は、突然かかってきた誰からかも分からない電話によって、「海芝浦」という駅に向かうことになる。
その途中、故郷の三重県四日市市の風景がよみがえり、少女時代の記憶や家族のことが急速に思い出され、幼い頃食べていたチョコレートの味覚と共に、現実と溶け合ってゆく。

「海芝浦」はホームの片側が海、もう片側が東芝工場の通用口しかないという変わった駅である。線路と鉄パイプと変圧器と高圧線。
コンビナートのある四日市市の風景に同調してゆくさまはとても自然だった。

描写も面白い。

頭の中では海芝浦行きの電車が半分崩れて糸を引いていた。その窓から納豆の豆のように乗客の半分が、あああああ、と目の玉を寄せて海に帰りつつあった。
彼らの多くは、頭の方からオウム貝とか三葉虫のような、古代の海の生物に変わり始めていた…

気がつくとまるで書き割りのようなわざとらしい、ぴかぴか光る一枚の布のような海を私は見ていた。…頭の中に幽霊のような手がふっと浮かんで、その芝を一本だけぴっと引っ張った。…芝と一緒に海も縫い目を引っ張られた布のようにめくれ上がる。…衣装だけが歌舞伎のように色鮮やかな、腰蓑もつけたウラシマタロウが、つつーっ、と海がめくれ上がった後の空白の中に滑り出て来た。

……波光に波騒ぎに波輝く、栞やらり、脂月離れる、ありますか、ゆりにみのりますか……。
……いいえ、まみえぬばりのぼれば、梨の花の星わたるりげるに、るぇんげるねの明かり、いいえいいえ……。

(古典好きの人間が現代の感性で書いた恋愛小説という夢の設定)

独特の観察眼と、流れてゆくような感覚が心地よかったが、ラストシーンに盛り上がりがあればもっと良かったように思う。
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